PROJECT MERCURY

スコット・カーペンター少佐とブライトリング、
互いにプロとして未知なる宇宙に挑んだ

1957年10月、旧ソ連が史上初の人工衛星「スプートニク1号」を地球周回軌道に送り込むことに成功します。後れを取った米国は翌年1月に人工衛星「エクスプローラ1号」を打ち上げるとともに、NASAを設立。旧ソ連より先に有人飛行を成功すべく、「マーキュリー計画」を始動します。 1959年4月、NASAは米軍のパイロットたちから最初の宇宙飛行士になる志願者を募集。数百人ともいわれる中から厳しい選抜テストを経て残った7人は、「マーキュリー・セブン」と呼ばれ、米国や市民の期待を一身に背負うことになりました。

その7人のうちのひとりが、スコット・カーペンター少佐です。彼は米国海軍の航空士官学校で飛行訓練を受けたのち、コロラド大学で航空工学を学び、1950年に勃発した朝鮮戦争ではパトロール戦隊や監視ミッションに就いた米海軍パイロットでした。

NASAでの訓練中、マーキュリー計画の通信システム確認のため世界中を回っていたカーペンター少佐は、オーストラリアを訪れたとき、現地のパイロットが着けていたナビタイマーに強く惹かれます。使い慣れた航空用回転計算尺を備え、正確に計時でき、しかもパイロットに絶大な信頼を得ているクロノグラフ。NASAでの任務のひとつが、ナビゲーションとコミュニケーションだった彼は、その瞬間、ナビタイマーが宇宙飛行士の予備計器となると直感しました。ただ、宇宙では地上の昼夜の区別がありません。時刻を読み取るとき、午前と午後を混同しないためにどうすればいいか……。カーペンター少佐はナビタイマーの24時間表示バージョンを作ってほしいと、ブライトリング社に打診します。

当時、ブライトリングのトップは、創業家3代目ウィリー・ブライトリングでした。航空界との関係を深め、ブライトリングを航空時計のスペシャリストとして成長させた気概あふれる中興の祖。大空の先に広がる無限の宇宙へ挑もうとしているカーペンター少佐の勇気に、大いに共感したのは想像に難くありません。ナビタイマーのスペーストラベル仕様に着手したブライトリングは、1961年に24時間表示のナビタイマーを試作。同年6月にはスイスで「コスモノート」の商標も登録しています。

こうして1962年5月21日、スコット・カーペンター少佐のもとに24時間表示のナビタイマー・コスモノートが届けられます。それは宇宙へ飛び立つ、わずか3日前のことでした。そして運命の5月24日、カーペンター少佐を乗せたオーロラ・セブン号は、フロリダのケープ・カナベラルNASA宇宙基地を飛び立ち、順調に衛星軌道に入って地球を3周。このとき彼は、アメリカで2人目の地球周回飛行者となりました。その4時間56分15秒に及ぶミッションを、ナビタイマー・コスモノートはカーペンター少佐の左腕で正確に刻んだのです。