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STORY OF BREITLING

ブランドを継承するということの意味

 スイスでは今でも毎年、時計の新ブランドが数多く誕生している。
スイスに時計産業が芽生えて2世紀以上の時が流れているが、一体いくつのブランドが誕生したのだろうか。おそらく星の数ほど、という比喩がさほど大袈裟ではないだろう。
しかし誕生する陰には、消えていくブランドもまた無数に存在する。
ブランドを立ち上げることが容易だとは決して言わない。が、そのブランドを継承することは、創業以上に多くのエネルギーを要することは紛れもない事実だ。まして名だけの継続ではなく技術も哲学も、すべて受け継いでいくことは至難の業である。現在、100年以上の歴史を持ち、創業者の志を何一つ失うことなく継承しているスイス時計ブランドは、ほんの数えるほどしか存在していない事実が、その至難さを雄弁に語っている。

 そのひとつがブライトリングだ。航空時計の名門として輝かしい歴史を持つブライトリングに経営危機が訪れたのは1970年、3代目ウィリー・ブライトリングの時代だった。
彼自身、ナビタイマーなど歴史的傑作を数多く世に送り出した人物だが、病気がちな身にクオーツによる打撃が襲い、さらに後継者難からブランド存亡の危機に陥る。
そこで彼は何年かかろうと、真の後継者を探すことを決意する。
そしてついに知人を介して、ある人物に出会うことになる。
その人物こそ、ブライトリングの現会長、アーネスト・シュナイダーだった。

シュナイダーは何度もウィリーの病床を訪ね、2人は話し合ったという。
そして1979年、正式にブランド継承が決定して間もなく、ウィリーは他界した。
「ウィリーさんは『過去のモデルのケアまでしなくてもいいから、現在のブライトリングを引き受けてくれ』と言うから、私も言ってやりました。私は過去の伝統を含め、ブライトリングのすべてを継承するつもりです、とね」アーネスト・シュナイダーはそう語ったが、少なくとのそのとき、2つの情熱のリンクが、ガチャンと音をたてて繋がれたことだけは間違いない。
ブランドを継承するということは、情熱の連鎖に他ならない。

現在、世界屈指の人気を誇るブライトリングのさまざまなストーリーは、すべて情熱の連鎖によって紡がれている。

(本内容は4/2付産経新聞朝刊にて掲載された内容です。)

ウィリー・ブライトリング ウィリー・ブライトリング

アーネスト・シュナイダー アーネスト・シュナイダー

ブライトリング伝説はレオンの夢から始まった。

 それは今から120年以上も前のこと。
当時、スイス北西部のジュラ地方では、夏は農作に精を出し、長い冬の数カ月間は時計のパーツを組み立てて生計の足しにする家が多かった。
そんな家庭に育ったレオン・ブライトリングが、他の子供と少し違ったことは、精密な機械類や複雑な時計機構、とくにクロノグラフへの好奇心が人一倍旺盛だったこと。
彼は時計製造に関して、農作の片手間に手掛けるだけでは飽き足らず、時計の専門技術を学ぶ。
そして1884年、彼が24歳のとき、サン・ティミエという小さな村に複雑時計製作のアトリエを開く。
ブライトリングの歴史は、この時から始まった。

 彼が製作するクロノグラフは評判を呼び、博覧会に出展するや数々の賞を獲得する。その名声はさらに高まっていった。
しかし、ここまでなら、スイス高級時計の名門ブランドにおける創業話とそれほど違わない。
実は レオン・ブライトリングには、もうひとつのキャラクターがあったと伝えられている。
それは、彼が大空を夢見る青年だったということだ。
当時といえば、エンジン飛行機が出現する夜明け前。
世界中の命知らずの飛行機野郎が、グライダーもどきを背に、偉業を夢見て滑空に挑んでいた時代だった。
グライダーによる初の飛行記録(約50m)が1891年のことで、ライト兄弟が初めて動力飛行に成功したのは、それからさらに12年後の1903年。

レオンの夢は、時代より少し早過ぎたのかもしれない。
彼はその夢を心に留め、そしていずれ飛行機という乗り物が素晴らしい発展を遂げることを確信しながら、クロノグラフ製作に専念していたことは想像に難くない。
その後、ブライトリングはスイス屈指のクロノグラフ製造会社として発展する。
そして彼の後継となる息子のガストン・ブライトリングは、レオンに勝とも劣らない時計師として成長する。
──飛行機は今後さらに発展すべき産業だと思う。
だから私は時計や計器のメーカーとして、それを支えていくつもりだ──この父の意志をガストンが受け継いでいなかったはずがない。

1914年、レオンの夢と情熱は、息子ガストンに引き継がれ、2代目の時代、ブライトリングは航空時計の名門として未曾有の発展を遂げる。

レオン・ブライトリング レオン・ブライトリング 1860年1月26日生まれ。
1884年にスイス、サン・ティミエにクロノグラフや精密計器の製作工房を開く。
1914年の死去後、息子ガストンが継承。